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2015年2月 7日 (土)

「学び」の本質から「食育」の本質を鑑みる



「学び」とは何か?



「学ぶ」という言葉の語源

それは「真似る」にあると言われている。


すなわち「学び」とは他人の真似をすることだとも言えるだろう。



ちなみにその際に、上手くいっている人を真似するのも

上手くいっていない人を真似するのも

どちらも学びであることには違いない。



・・・だが、どうせ真似をするなら

上手くいっている人から学んだほうが良いに決まっている。


しかし案外、私たちはそれが出来ない。


自分の頭では「上手くいっている人の真似をすれば良い」と理解していても

自分の心がそれを拒否してしまうのである。



それは一体なぜか?



「学び」=「真似」を拒否してしまう理由とは?



学びを阻害するのは「我」だ。


心が無意識に「学び」を拒否し、


~「私」はあの人とは違う、あの人と同じことはしたくない~

~「私」には出来ない、できっこない~


そうやって頭で”拒否の理屈”をつける。



「私」という「我」はいつも

学び=真似をとにかく難しい行為へと導いている。



・・・そこで思うに、「我」とは何だろう?

「私」とは一体何なのか?


「我」や「私」などといった抽象的な言い回しを

定義できる言葉はあるのだろうか?



過去の記憶が生みだす反応パターン



結論から言えば、「我」とは『過去の記憶』だ。



それぞれの生命体がこれまでに蓄えてきた様々な記憶情報。


その過去の記憶情報こそが「我(私)」を決定付けている。


そしてその記憶情報に基づいた様々な反応パターンが

「私」というものを表現しているのだ。



・・・つまり

「過去の記憶」が”新たな学び”を阻害しているのである。



過去と決別できない者が、我に囚われる。


己の意に反して、新たな学び、己の変化を避けてしまう。



・・・ならば、過去と決別し

新たな学びを可能とするためにはどうすれば良いのか?




過去の自分に感謝する



これも結論から言えば、「感謝」しかあるまい。



本当の意味で、過去の記憶が創り出す「私」を変えたいのであれば


意識的な学びを可能とし、過去の自分を乗り越えたいのであれば


その過去の自分、過去の全ての情報に感謝し続けるしかないだろう。




「学びの本質」から「食育」を鑑みる



我々の肉体もまた、これまで食べてきた物質、生命体、食物の

全ての記憶情報を織り成し存在している。



その記憶を乗り越え、新たな私へと生まれ変わりたいと願うならば

あなたをあなたたらしめている過去の記憶情報の全てに


・・・つまり、”あなたを取り巻いてきた全て”に

そして”あなたを取り巻いている全て”に


感謝し続けることで、その願いを果たすことができるだろう。


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